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1968年12月


怪盗が3億円を手中にするまで  
 数々の怪事件・難事件があった昭和だが、戦後最大のミステリーを挙げるなら、「三億円事件」をおいてないだろう。多くの謎を残したまま、1975(昭和50)年に時効が成立。半世紀を経たいまなお、真相は明らかになっていない。この年の暮れ、世間の話題をさらった大事件の発生直後の状況を追った「週刊朝日」1968(昭和43)年12月27日号の記事をみていこう。昔も今も「官」の常識は「民」の良識と乖離している印象を禁じ得ないが、「週刊新潮」30日号では、19歳の少女に淫行を働いた旭川少年鑑別所の教官が、なんと減給ではなく特別昇給の厚遇に浴するという、旭川市民を激怒させた呆れた騒動の顛末を報じている。身内に寛容なのがお役人体質とはいえ、なぜこんな処遇が罷り通ったのか――。

てっきり警官だと

▲「週刊朝日」’68年12月27日号
 12月10日午前9時15分、日本信託銀行国分寺支店の通用門から1台の黒いセドリックが動き出した。トランクには総額2億9430万7500円の札束が。東芝府中工場に勤務する4600人分のボーナスである。現金輸送車には4人の行員が乗っていたが、当時はまだ警官やガードマンが同行する時代ではなく、この甘さが命取りとなった。
 同記事では、一人の証言者が登場する。セドリックが通過した直後にタクシーをとめたのは鈴木きみ子さん(36)。府中刑務所近くにある建設事務所に出勤するところだった。
〈府中刑務所の二つ目の監視塔の手前でとめてくれるように運転手に声をかけた。彼女が車を降りるとほとんど同時に同じ方向から黒いセドリックが車道に停止した。そして、その先をまわりこむようにして白バイが斜めに止った〉
 鈴木さんは当初、スピード違反くらいにしか思っていなかったという。タクシーが追い越した黒いセドリックは印象に残っていた。なぜなら、勤務先の社長も同じ黒いセドリックに乗っており、たまたま直前にすれ違っていたからだ。
 セドリックの近くで事態を見守っていた鈴木さんは、白バイの男の風貌について、〈「やせ型、黒いジャンパー、黒いズボンに半長靴だったような気がする」〉と振り返る。
 男が運転席に近寄り、何か怒鳴ると、乗っていた4人は一斉に飛び出した。〈「支店長宅が爆破された。この車にも爆薬が仕掛けられているとの連絡があったので、調べさせてもらう」〉と警告したのである。やや稚拙なセリフのようにも思えるが、男の動作は実に堂々としており、鈴木さんも含め、全員が男を本物の警官と思い込んでいた。
 その後、車体の点検を始めた男は、何か筒状のものを引き抜いたようにみえた。行員たちはすでに刑務所の塀と反対側の歩道に退避していた。そこへ自衛隊立川基地のトラックが通りがかり、運転していた竹内詩朗さん(20)は前方のセドリックの下部から火花を発見。〈「自動車火災だ!」と判断して、ブレーキをかけ、消火器を手に取ってセドリックまであと五メートルぐらいに近づいた〉のだが、「危ない、ダイナマイトが爆発する!」と怒鳴る声が耳に届き、思わず足を止めた。注意を喚起したのは、避難していた行員たちだ。
 その刹那、〈フロント・バンパーのところに立っていた「上から下まで白ずくめの警官」が運転席に上り、ものすごい勢いで車をスタートさせた。半ドアのままである。セドリックは直前にあった白バイを急ハンドルで交わすと、フルスピードで走り去った〉のである。ダイナマイトと称していたのは、単なる発煙筒だった。
〈竹内さんは「何か警察が訓練しているんだな」と思ってトラックに引き返した。鈴木さんも安心して現場を離れた〉
 この時点で3億円を強奪されたのだと気づいたのは行員だけだった。竹内さんのトラックが停止してから犯人が逃走するまで、犯行に要した時間はわずか5分ほど。あまりに鮮やかな手口に、現場に残された4人は呆気にとられるばかりであった。


大胆緻密な犯人像を推理する
〈犯人は大胆で、かつち密な計算をたてていたと思われる。白昼、車の通行が激しい路上で白バイ警官になりすまし、三億円を奪ったあとは、大捜査網を巧みにくぐり抜けて逃走を続けている〉
 事実、時効まで逃げおおせたのだから、それなりの知能犯だったと言わざるを得ない。3億円を降ろしセドリックを乗り捨てた第二現場は、〈曲りくねった細い路地が入りくんでいて、土地の人にもくわしい地形はわからない〉〈雑木林やササに囲まれていて、まわりからまったく見えない〉場所にもかかわらず、犯人は迷うことなく直行しているのだ。
〈数回にわたり、犯行現場、逃走経路の下見をしたに違いない〉との見方が成り立つ。
 白バイを用意していた第三現場付近では、事件前日の夜、白バイで走り回る男が、近所の主婦に目撃されている。綿密なリハーサルを行っていた可能性が高い。
 犯行当日は予想外の土砂降りに。〈人通りが少なく、犯人の目撃者が意外に少ない〉という幸運をもたらす、犯人にとっては「恵みの雨」となった。当日の行動を追ってみよう。
〈現金輸送車が銀行を出発する時刻、彼はカローラに乗って銀行近くに現れた。九時十五分、銀行を出た輸送車をつける。助手席にはレーンコートとマスクなどが置いてある。二台の車は第三現場付近を通過する。この時、犯人はいきなりカローラを第三現場の広場に突っ込み、エンジンをかけっぱなしにしていた“白バイ”に乗換える〉
 ここまで計画通りに進んだものの、“大仕事”を前にして若干の焦りもあったようだ。
〈乗捨てたカローラのワイパーは発見された時まで動いたままだったし、ヘルメットなどを包んでいたレーンコートは、車の外に投げだされていた。それに、“白バイ”にかぶせてあったシートを、荷台にひっかけたまま、ひきずって走っている〉
 しかし、このあとは冷静だった。まずは近道を通って輸送車を待つ。〈輸送車がやって来る。今度は“白バイ”であとをつけ、第一現場で輸送車を襲う。奪ったセドリックで第二現場へ向かう。第二現場にセドリックを乗入れ、置いてあった(まだ捜査陣に発見されていない)第三の車“X”に奪った現金を積みかえる。そしてセドリックを捨て、“X”を運転していずれともなく姿を消す〉
 その後の犯人の足取りは杳として知れない。
 一方、犯人が一枚上手だったとはいえ、世紀の大失態を演じた銀行は大混乱に陥った。
〈支店長や次長は連日、管内のお得意さんに挨拶回り。輸送車に乗っていた四人は毎日、朝早くから夜遅くまで警察に出頭して事情聴取が続いている〉〈そのうえ、「支店内に犯人と内通した者がいるらしい」とのウワサまで流れ、行員同士、そこここで額を寄せ合いヒソヒソ話をしている光景もみられる〉
 事件後、現金輸送時の安全対策に万全を期するようになったわけだが、教訓の代償はあまりに大きかったようだ。


角栄さんの泣きどころ

▲「週刊現代」’68年12月26日号
〈「うちの娘は、国会での野党よりも、はるかに難しい。芝居の世界に進むなんて……。ワシのいうことなんか聞きやしないよ」〉と嘆くのは、当時は幹事長を務めていた田中角栄氏だ。もっとも、〈口ではきびしいことをいいながらも、かわいくて仕方がないといった表情がにじみ出ている〉と、記者には本心を見透かされているのだが。
 娘とはもちろん真紀子氏のこと。「週刊現代」26日号が、新劇研究生として稽古に打ち込む23歳の真紀子氏の素顔に迫っている。
〈真紀子さんは、高校時代のアメリカ留学生活でえた近代性と合理性をもつ明るいお嬢さんである〉とあるが、写真を見る限り、この頃は表情も柔和で、のちの「猛女」のイメージは感じられない。とはいえ、〈「現在の自民党は、保守党政権のうえにアグラをかいているような気がします。沖縄問題にしてもどれだけ真剣に考えているのか……」〉という辛辣な発言に「らしさ」も垣間見える。
 結局、「女優・田中真紀子」は大成しなかった。〈角栄氏は、一日も早く婿を迎えたい意向だが、ご本人は、まだまだ演劇の道に未練があるようすである〉という状況だったのだが、翌年、角栄氏の猛反対を押し切って直紀氏と結婚し、演劇の世界と距離を置いたからだ。
 しかし、毀誉褒貶が激しかったものの、議員時代には“劇場型政治”の“主役”を演じたのだから、役者の夢を何割かは果たしたともいえよう。


“火事ドロ”の町長、議員

▲「サンデー毎日」’68年12月29日号
「火事場泥棒」とはドサクサに紛れて利益を貪ることの例えだが、事もあろうか行政のトップが泥棒三昧という呆れた騒動を「サンデー毎日」29日号が報じている。
 批判の矛先が向けられたのは、この年の3月、旭川市に編入されたばかりの旧神楽町の町長や議員だ。
〈合併が決まったあと“婚約者”には内証で、当時の町長に膨大な“ご祝儀”を出したり、町議たちが、物見遊山まがいの“研修旅行”に出かけていたことがわかった〉のである。11月に開かれた旭川市議会の旧神楽町会計決算特別委員会で、この乱脈町政が明るみになったもの。サン毎の記事は、旭川市民の心中を〈美人だし、気立てもいいと思って信頼して迎えたヨメに裏切られたようなものだ〉と例えている。
〈昨年九月からはじまった合併の正式話合いの段階では「合併経費はできるだけ切りつめる」という約束をしていたのに、一般会計の赤字は、二千八百二十万円もあった〉というから悪質極まりない。合併後は自由に使えなくなるから、今のうちに使ってしまえ、という卑しい発想だろう。
 前年の2月に初当選した野村権作町長は、「あの人でなければ合併は実現できない」という多くの町民の期待を背負っての勝利だった。合併は成し遂げたものの、〈合併の功労に報いるという「報償金」が百万円〉と聞いては、善良な町民は鼻白んだに違いない。
 さらに、〈元町長にも百万円、収入役と元助役に各二十万円、助役は旭川市職員になるということで十万円と、三役それぞれ“慰労金”が贈られた〉のだった。いったい、既定路線だった合併以外に彼らがどんな「慰労」に値する働きをしたというのか。
 議員の豪遊ぶりもひどかった。“研修旅行”の中身とは、〈四国、関西方面の“優良事例調査旅行”と名目は立派だが、実は京都、奈良、大阪から四国までふくめた観光旅行〉であり、〈町議の退職金も在職一年二ヵ月を全員二年とし、その額にさらに五割増というお手盛りが堂々とまかりとおっていた〉のだから、やりたい放題にも程がある。
 議員の「視察旅行」については、半世紀が経った今でも実態は当時と変わりなく、各地で批判が絶えない。今年10月には、北九州市議会の豪華なお遊び欧州旅行がテレビの追跡番組によって暴露され、来年以降の廃止が決まった。北九州のケースは氷山の一角に過ぎないのだろうが。
 神楽町のトップは、こうした町政の私物化だけではなく、合併に関する補正予算を決めた際の「議事録」を紛失するという前代未聞の不祥事まで犯している。〈「正当な議事手続きが行なわれていないから合併は無効だ」〉〈「乱れた町政をかくすためわざとしたことだ」〉といった声が寄せられたが、〈予算書や関係者の記憶にもとづいて、“てん末書”を作成し、議会に提出〉することで、どうにかコトを収めたのだった。「議事録」がない状況でさえ、これだけの浪費が明らかになったのだから、実際はまだまだ隠された「悪事」があったのでは、との疑念を拭えない。
 今の時代なら関係者総辞職は免れないところだが、結局は野村前町長が〈「遺憾であった」と“婚家”にワビを入れて、どうやらケリがついた〉とのこと。汚職に対する大らかな時代背景もあったのだろうが、旭川側にすれば、合併早々から禍根を残したくはないとの思いもあり、不承不承、早期の幕引きを図ったのかもしれない。市町村合併の場合、人間の結婚とは違い、たとえ結婚相手に愛想を尽かしたとしても“離婚”の選択肢はないのが難しいところではある。