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1967年5月


全調査 長者番付 都道府県別ベスト10  
 最近は富裕層全般を指す抽象的なイメージで使われることが多い「億万長者」という言葉も、半世紀前は、文字通り年収1億円超えの数少ない成功者をズバリ表す「尊称」であった。「サンデー毎日」1967(昭和42)年5月21日号では、〈日本列島の「長者分布図」を作ってみたらどうなるか――〉と題し、さまざまな観点から分析を試みている。そこには現代同様、東京と地方の格差が厳然と存在しており興味深い。

「億万長者」は全国に33人
 本誌もかつては「全道高額納税者総覧」という特別付録を作成していたが、「サン毎」が載せているのは納税額ではなく申告所得額。その内容について、〈所得一億円以上の億万長者 33人は、東京に住む人が16人で半数に近い。次に多いのが兵庫の7人。大阪は意外に少なく4人で、東京の四分の一だ。このほか北海道、岩手、福井、静岡、岐阜、徳島の各道県に一人ずつ〉と紹介している。東京は順当としても、北海道からもランクインしているのが注目される。北海道の「億万長者」が誰なのか気になるが、まずは東京の順位から見ていこう。
 1位は6億9259万円の上原正吉氏(大正製薬社長、参議院議員)。2位の鹿島守之助氏(鹿島建設社長、参議院議員)の3億3139万円に倍以上の差をつけ、断然のトップとなっている。当時の6億を現在の貨幣価値に換算すれば、どれほどの額になるのだろうか。
〈三十九年度に松下幸之助氏にかわってトップに立って以来、連続して王座≠占めている〉とあるが、その松下氏(松下電器会長)は5億2678万円で、大阪府のトップ、全国2位。前出の鹿島氏を含めた3人が全国トップスリーとなっている。
 全国1位の感想を聞かれた上原氏は、〈「八割強を税金にとられ、わたしは会社からもらったものを税務署にわたす取り次ぎ役みたいなもんです。それに国会議員、社長としての体面、つきあいもある。税金にとられた残りでは、暮らしていくのがやっとで、株を売り売り生活しているのが実情です」〉と話している。貧乏人が聞いたら反発を禁じ得ないコメントではあるが、お上の苛斂誅求に対する恨みは理解できるし、持たざる者にはわからない苦労もあるに違いない。
 東京のベストテンから主要人物をピックアップしていくと、3位に石橋幹一郎氏(ブリヂストン社長)、7位に本田宗一郎氏(本田技研社長)の名前がみえる。企業家が上位を独占するなか、ようやく42位に松本清張氏が。あの超ベストセラー作家でさえ42位なのだから、東京は層が厚い。


「動き回れば金にぶつかる」

▲「サンデー毎日」’67年5月21日号
 のちに天下を取る75位の田中角栄氏(新星企業重役、代議士)は、コメントが痛快で、豪放磊落な性格が伝わってくる。
〈「ボクは取締役、理事長、会長などという肩書で、いま十ぐらいの会社に関係している。著述業もやっているので、申告所得のなかには、二百万以上も原稿料とテレビの出演料がはいっているんですよ。しかし、ボクのうちには一日に五十人から百人の人がやってくるので、それ相応の接待をしなくちゃならん。冠婚葬祭の費用も一日平均一件は包まなければならない。一件一万円としても、一年で三百六十五万円になりますな。金は残らんもんですよ」〉〈「とにかく、じっとしておれない性分でね。娘が『うちで一番働きものは、徹夜で張り番をするコリー、そのつぎはお父さんだ』というんだ。イヌも歩けば棒に当たるというでしょう。動きまわっておれば、金にぶつかる、ということじゃないかなあ」〉
 会話に登場する娘は真紀子氏だろうが、父親を番犬以下と評しているのも真紀子氏らしい。
 東京(16人)以外の「億万長者」の主な顔ぶれは、大阪の松下氏のほか、兵庫1位の大林芳郎氏(大林組社長)、同3位の竹中錬一氏(竹中工務店社長)、福井1位の熊谷太三郎氏(熊谷組社長、参議院議員)、静岡1位の鈴木常司氏(ポーラ化粧品社長)、岐阜1位の田口利八氏(西濃運輸社長)など。北海道1位はというと、松坂有祐氏(内外緑地社長)の1億689万円。2位以下は伊藤義郎氏(伊藤組社長)、3位長沢元清氏(長沢倉庫社長)、4位古谷辰四郎氏(古谷製菓社長)、5位加藤良雄氏(丸友金一舘社長)、6位大阪岩吉氏(漁業)、7位板谷宮吉氏(板谷商船社長)、8位谷口甚左衛門氏(苗穂倉庫社長)、9位若月忠雄氏(不動産業)、10位木下藤吉氏(木下物産社長)と、懐かしい名前、社名が散見する。
 ちなみに、〈東京都の百番目は約五千万円だが、これは鳥取県のベストワンとほぼ同じ〉とあるように、やはり東京と地方の格差は明らかだ。1位の最低は山梨の2027万円で、北海道の10位は東京の100位にも遠く及ばない。
 今の時代は個人情報保護が徹底しており、このようなランキングを発表するのは難しいが、「長者番付」は時代を映す鏡といえそうだ。


競馬界の新しい実力者

▲「週刊現代」’67年5月18日号
 東京競馬場のスタンドで、双眼鏡を手に真剣な眼差しを向けているのは、熱心なファンではなく、東京馬主協会会長になった藤田正明氏(43)だ。ちなみに、前会長は田中角栄氏である。「週刊現代」18日号が、北海道ともゆかりが深い藤田氏の素顔に迫っている。
〈「競馬がこれほど大きな娯楽になり、高額な金(昨年の馬券売り上げは千二百億円)が動くのだから、今のような半官半民な形で競馬界が動くのはよくないと思う。事業体として組織を完備して活動すべきだ」〉と持論を披瀝する藤田氏。1922年、広島県の出身で、実父が創設した藤田組副社長の顔を持つ傍ら、政治家として参議を4期務め、参院議長の座にも就いた。実兄は元広島県知事というサラブレッド≠ナある。
 旧態依然たる競馬界の改革を志した藤田氏は、いわゆるオーナーブリーダーズの走りでもあった。
〈北海道東静内に藤正牧場をもっている。馬主多しといえども、ホームメードの馬を所有する人はほんの数人にすぎないから、エリート馬主である〉
 藤正牧場(現トウショウ牧場)からは、「天馬」と称されたトウショウボーイをはじめ、シスタートウショウ、スイープトウショウなど多くの活躍馬を輩出。藤田氏自身は、1996年に没するまで競走馬を所有し続けた。
〈「なによりも、ファンのためのサービスや施設を考えなくてはならないと思う。できれば、国際レースのようなものを計画していきたい」〉と抱負を語っていたが、まだ競馬場が「鉄火場」などと蔑視されていた時代にあって、先見性に優れた人物といっていい。実際、藤田氏の願い通り、中央競馬会のファンサービスは格段に向上し、国際化も進んで、いまや欧米に比肩するレベルにまでなった。今春はスイープトウショウの息子スイーズドリームスが注目を集め、ダービー制覇をめざして奮闘している。


続恵庭事件の理非

▲「週刊新潮」’67年5月6日号
 恵庭町(当時)で酪農業を営んでいた野崎健美・美晴兄弟が、隣接する自衛隊島松演習場の騒音によって乳牛の搾乳に影響が出たとして通信線を切断した結果、「自衛隊法違反」で起訴された「恵庭事件」。自衛隊の是非を問う一大論争に発展し、全国的な注目を集めたが、札幌地裁は憲法判断には触れず、兄弟を無罪とし、「肩透かし判決」と失望感が広がった。この事件には後日譚があり、「週刊新潮」6日号の人気連載「東京情報」が詳報している。
 執筆者はSPI特派員の肩書を持つヤン・デンマン氏。同氏については、日本人ジャーナリストの筆名といわれているのだが、それはさておき、記事を追っていこう。
〈野崎健美氏は、ふたたび島松演習場の「立入禁止」となっているところへはいって行った。このときは、裁判中兄弟を支援した労組員五十数人がいっしょだったそうで、それを阻止しようとした自衛隊員十数人との間にもみ合いが生じ、写真をとろうとした一曹(軍曹)が右手首ねんざなどで十日間の傷を負ったと警察に訴えた。警察では、この負傷の原因は野崎氏の行動にあるとみて、任意出頭を求めている〉
 野崎氏らの侵入行動もどうかと思うが、負傷を訴え警察沙汰にした軍曹もいかがなものか。記事では「イタリア人記者」の談話として、〈「なんとカヨワイ軍曹さんであろう。軍曹さんといえば、どこの国でもタフの代表だぜ。それが、ただのもみ合いでケガをするとは」〉と皮肉っている。
 一方、ヤン記者の見解はこうだ。
〈「猛者であるはずの軍曹が、このように弱いのは、なにかにつけ、自衛隊の法律的地位が攻撃目標となるほど、アイマイなためだとも考えられる。つまり自衛隊は国内でさえ攻撃にさらされ、受身となっているから、心理的に弱くなっているのではないか」〉〈「日本の自衛隊は、アジアでもっともバランスの取れた軍隊のように感じられるし、また世界的には、核保有国を除くと、一流の軍隊だとみられている。それが、実は、憲法にかなっているかどうかハッキリしないのです、などといったって、外国の人は信じかねるだろう」〉
「続恵庭事件」に対する世間の見方は、「恵庭事件」のときほど自衛隊違憲派への共感が広がらなかったようだ。「イギリス人記者」は、〈「どうやら、日本人は、相手の弱味を見つけたとき、ますます強くなるようだし、弱味だけに目をつける傾向もある」〉と論評しているほか、ヤン記者は〈恵庭事件の翌日に起こった事件は、攻撃側が調子に乗り過ぎたのを感じさせる〉〈恵庭事件は、他人の電線を切っていながら被害者の弱味――言い換えると、自衛隊の法律的地位をもっぱら攻撃する事件だったし、しかも、そのために、攻撃側は勢いを強くした形だったが、判決でケリがついた後も、この弱味から目を離そうとしない。自衛隊の軍曹をケガさせたとき、労組員は「訴えるなら、訴えてみろ」といったそうだが、それは、相手の弱味をつっつく限り、傷害事件もどうせ無罪になると思っているからなのか〉と手厳しい。
 右傾化が目立つ昨今、もし自衛隊員が負傷を負うトラブルがあったなら、加害者の市民は「非国民」と袋叩きに遭うだろう。当時と比べ、自衛隊員の社会的地位は飛躍的に向上したといえるが、とはいえ、政府の命令ひとつで戦地にも赴かなければならない時代になったのだから、自衛隊員が向き合う現実はいっそう厳しさを増している気がする。

有楽町の戦後≠ェ消える

▲「週刊現代」’67年5月4日号
 おしゃれな商業施設とガード下の赤ちょうちん。新旧の魅力が混在しているのが有楽町の個性といえるが、「週刊現代」4日号のグラビア特集に、懐かしい風景をみつけた。
 その場所は、バラック造りの飲食店が櫛比する有楽街。寿司屋ばかりが集まっているわけではないのだが、通称「スシ屋横丁」と呼ばれ、戦後の復興を見守り続けてきた一角だった。現在、跡地には「イトシア」(駅前の複合商業施設)が建っている。
〈長年親しまれてきた有楽町駅前のスシ屋横丁が、このほど東京都の駅前広場′嚼ンのため、円満に話しあいがつき、立ち退くことになったもの〉
 取り壊し作業を見つめる人たちの切ない表情が、横丁への愛惜を感じさせる。なにせ〈戦後まもなく、ヨシズ張りの小屋で、イモでつくったマンジュウ、ふかしパンなどを売っていた時代から今日にいたるまで、夜ともなれば、ひとときの憩いを求めるサラリーマンたちの笑声≠ェ横丁の路地にあふれた〉という有楽町のオアシスだったのだから。横丁を見下ろすように新幹線が通過していく写真は、オリンピックを機に、急速に街の姿を変えた東京の縮図をみるようだ。